もう何年も前からです。笑子さんとふたりで不動産屋を周りました。家族のように温かい珈琲屋さんをやろうと決めていましたから、物件探しは夢の始まりでしたよ。ある日、高田屋嘉平の銅像の近く、坂の途中に古い家を見つけました。それは古民家と呼べるほど立派なものではなく、〈テナント募集〉のポスターも寂しそうでした。三角屋根の赤いトタンはサビだらけでしたが、古いピンクの壁の色がとても可愛らしく見え、側道にクルマを停めて家の中を覗いてみましたよ。  がらんどうの古い家はホコリだらけ。雨漏りの跡があり、天井も抜け落ちていました。「大丈夫かな?ここ」とボクが言うと笑子さんも「ダメだわココ!」って。いったん断念はしたものの、なぜか気になるこの物件。数週間あとに不動産屋に連絡して中を見せてもらうことにしました。くたびれた家でしたが、1から始めるにはちょうどいい。「ここにカウンターを作ろう!」 「スピーカーはこっちで、焙煎機はむこうだね!」夢は膨らむばかりでしたよ。
 2021年10月28日。ブルースの木はスタートしました。どうすれば儲かるとか、なにが流行るとか、 そんなんじゃないんです。ずっと同じ途を、ずっと同じ歩幅で、ゆっくりと歩いて行きますよ。

 《ブルースの木》という店名についてよく訊かれます。もちろん音楽ジャンルとしてのBLUESやJAZZも好きですが《ブルースの木》の店名の裏には、切ないが、希望に満ちた想いと願いがあるのデス。ボクらはそれをブルース心といっています。

 移民船〈笠戸丸〉でブラジルサンパウロのサントス港に到着した781名をはじめ、1900年台後半には多くの日本人がブラジルに渡りコーヒー豆を生産する雇用農民として働きました。夢を見て渡ったはずの異国の地でそれはもう、大変過酷な労働、いま現在でもブラジルにその子孫たちが営むコーヒー農園があることを嬉しく思っています。

 いっぽう、アメリカでは黒人奴隷たちが畑仕事など、貧しく過酷な労働を余儀なくされた時代。汗を拭い、仕事帰りのトラックの荷台で故郷の家族のことを想い、ゲンコツの中にあるひしゃげてしまった夢のことを唄いました。そんな魂のワークソングこそがBLUES。

 《ブルースの木》といえば《コーヒーの木》。いつしかそんなふうに考えるようになり、生産農家さんが一生懸命作ったコーヒーの豆をボクが焼いて、たくさんの人の心に届ける仕事がしたくなったのデス。

 「美味しい珈琲を飲む秘訣は?」とよく訊かれます。いつも「それは良い豆を使うことです。」とお応えしています。では〈良い豆〉とはどんな豆なのか、参考にしていただければと思います。 〈良い豆〉とは、 ①質の良い生豆を使用すること。 ②焙煎してから時間が経っていないこと。③豆の個性を引き出す適正な焙煎がなされていること。⓸これらのことに誠実で頑固であること。
 この4つの条件を満たした豆は、わりとどんな淹れ方をしても美味しい。ぎゃくにこの4つの条件のどれかが欠けた場合、どんな抽出の達人を連れてきても美味しい珈琲を淹れることはできないのです。〈良い豆〉とは〈可能性のある豆〉のことを言います。 ボクは家で珈琲を淹れたことがありません。家内の笑子さんはホームセンターで買ってきた2980円のコーヒーメーカーを使っています。少し前まではペーパードリップで抽出していましたが、ムラシをしている最中に洗面所に行き眉毛を書いたり、抽出中だということを忘れてしまい掃除機をかけたりするものですから廉価なコーヒーメーカーに替えました。主婦は忙しいですからね。コーヒーメーカーはとてもフラットで公平な仕事をしてくれます。ボクらは珈琲豆屋ですから、誰が淹れても、どんな方法でも美味しいコーヒーでなければなりません。
 ブルースの木は〈可能性のある豆〉をお約束します。あとはお客様が自分だけの抽出レシピを探してください。珈琲のある暮らしは豊かで尊いものです。ボクらはその応援をさせていただくために豆屋を始めました。

 コーヒーの味は焙煎で決まります。これはまちがいないことですが、そのためには使用する生豆の質の良さが絶対的な条件となります。質の良くない生豆を使って焙煎してもちゃんとコーヒーになりますが、クオリティは残念なものです。昨今のスペシャルティコーヒーの勢いには目をみはるものがあり、さほどこだわった焙煎をしなくてもそこそこ美味しいコーヒーが飲めるようになりました。しかし確実に言えることは生豆の質が高ければ高いほど表現の幅が広がるように思います。

 ブルースの木ではスペシャルティからトップ・オブ・トップの素晴らしい生豆を使用することで豆の個性を引き出すことに成功しています。ボクは偏差値が高いDNAの優れた生豆だけが素晴らしいという考えかたは持っておらず、ぎゃくに多少落ちこぼれであっても口笛を吹きたくなるような個性もあるわけで、ボクはそんな個性をいつも探しています。

 直火式の焙煎機はメリハリの効いた細やかなニュアンスの表現ができます。農家さんの情熱や想いを考えると、ボクはなんとしても豆にも自分らしい生き方をしてもらいたい。どんな焼き方が似合う豆なのか、自分らしいとはどういうことなのか、いつも考えていますよ。もう一度言いますが、コーヒーは焙煎できまります。質の良い生豆あってのことですが、、、

 焙煎は歌を作ることと同じ。ボクは〈唄う焙煎士〉と呼ばれています。

 珈琲の抽出については、それぞれの考え方や好みなどもありますから、こうあるべきだ、みたいな話はしません。ちなみにボクは昔からネルドリップで珈琲を淹れています。豆屋としてのコダワリというものがあるのデス。自分の焼いた豆をどのようなカタチで表現しようか、いつも考えています。ボクの使っている抽出ポットの先っちょからでる湯の量とネルドリップの先っぽから落ちるエキスのスピードがとても相性がいい。ペーパーを使うとどうもしっくりこないのデス。

 豆を買いにきてくださるお客様には自由度の高い豆をお渡しして自分らしく豊かなコーヒーライフを手に入れてほしいと願っています。

 浅煎りも深煎りも後半の〈出がらし〉の扱いが大切だと思っていて、使用する豆の量もそのつどお客様の満足をイメージし変えています。一度の失敗は命とりになりますし、豆屋のプライドでもあります。

 浅煎りのフルーティはこの上ない贅沢ですから最も〈旬〉なところを掬うように一気に素早く抽出します。後半の〈出がらし〉はフルーティな香りを濁してしまうからです。

 いっぽう、深煎りも同様、たっぷりと豆を使い前半の〈旬〉にやさしく点滴で湯をあて、極上の珈琲エキスを搾り出していくイメージ。ファーストエキスは不思議と苦くはなく、とても純度の高いチョコのようです。その後、徐々にスピードを早めゴールを目指すわけですが、やさしく抽出すればするほど、珈琲は甘くなります。

 どの世界にも、どの街にもその途の〈マスター〉と呼ばれるひとがいて、ボクはそんなマスターを探して旅にでたことがあります。そしてわかったことは、良い店は必ず店主がいつもそこにいて、その店主が豆を焼いています。そしてその店主が抽出した珈琲を目標にしてリピーターが集まるのデス。そんな珈琲屋でありたい。

 まあ、ボクらも色んなことがありましたから、ふたりだけでできること、「家族のように温かい珈琲屋をやろう!」って。ふたりでできないことはやらない、背伸びしない、そんなふうにこの店を育んできました。オープンがコロナの真ん中でしたからね、ネガティブな声が周りから聴こえてきましたよ。北国の冬はきびしい。でもボクらは店の薪ストーブに手をかざし、いつだって明日のことを語りましたよ。しかし、、、

 2023年12月、店を始めて2年が経ち店がやっと軌道に乗りかけたころ、ボクは大腸ガンになりました。ドクターにステージ3+と言われたときはさすがに落ち込みました。ふたりでやってきた店。どちらかひとりが欠けたらできなくなる。店をやめようかなという思いが巡りましたが、笑子さんが「ハマさんが帰ってくるまでひとりで頑張ってみるよ!」と言ってくれたときは勇気がわきましたよ。

 笑子さんは焙煎ができますから、毎朝5時には店に来て豆を焼きました。ブルースの木は毎日欠かさず豆を焼きますからね。ある大雪の朝、笑子さんが店に続く道を歩いていると、まだ薄暗い店の駐車場にふたつの影がありました。せっせせっせと雪かきをするご夫婦が! 笑子さんが大変だと思い、こんな朝早くに雪かきをしてくれた。涙がポロポロでたそうです。「今日はこんなお客様が来たよ」「こんな温かい言葉をいただいたよ」毎日ボクのところに届くそんなエールに癒されボクはみるみる回復に向かいました。ふたりだけの店だと思っていたこの店<ブルースの木>は、ふたりだけの店ではなかったんだ。そう思いましたよ。

 ブルースの木は珈琲豆屋さん。たとえば大切なひとのために豆を選ぶ時間。たとえば自分に少しだけ贅沢をする時間。たとえば豊かさを共有する時間。。。焙煎がうまくいくと豆はとっても喜ぶんですよ。そんな笑顔をお客様に持ち帰っていただきたい。心から、そう願います。

『共に働く家族を創ろう』